【書評】『奇跡のリンゴ』信念で不可能を可能にした人の話

これを読む少し前に書評か映画版の話を見たり聞いたりして気になっていた本。ちょうど読むタイミングが来たので読んで見たのですが、人の信念ってすごいなと改めて感じさせてくれました。
概要
リンゴ栽培には農薬が不可欠。誰もが信じて疑わないその「真実」に挑んだ男がいた。農家、木村秋則。「死ぬくらいなら、バカになればいい」そう言って、醤油、牛乳、酢など、農薬に代わる「何か」を探して手を尽くす。やがて収入はなくなり、どん底生活に突入。壮絶な孤独と絶望を乗り越え、ようやく木村が辿り着いたもうひとつの「真実」とは。
「BOOK」データベースより

石川 拓治(いしかわ たくじ)
1961年生まれ。早稲田大学法学部卒業。フリーランスライター。
2008年刊行のノンフィクション『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』が映画化され累計45万部のベストセラーに。
その他の著書に、『天才シェフの絶対温度 「HAJIME」米田肇の物語』(幻冬舎文庫)、『新宿ベル・エポック』(小学館)、『茶色のシマウマ、世界を変える』(ダイヤモンド社)など。

1949年青森県弘前生まれ。木村興農社社長。弘前実業卒。川崎市のメーカーに集団就職、1年半後に故郷に帰り、71年から家業のリンゴ栽培を中心に農業 に従事。農薬で家族が健康を害したことをきっかけに、無農薬、無肥料栽培を模索した。10年近い無収穫、無収入の苦難を乗り越えて成功。「奇跡のリンゴ」 と呼ばれた。現在は、国内各地と世界各国で自然栽培の農業指導を行っている
目次
まえがき
『奇跡のリンゴ』目次より
プロローグ
1.その男の名を木村秋則という
2.木村が狂ったひとつのものとは、いうまでもなくりんごの無農薬栽培だ。
3.木村は1949年の8月に、青森県中津軽郡岩城町で生まれた。
4.田圃に行ったら、川の水があふれて、穂先だけが水から出ていた。
5.福岡正信という人は、農学者というよりはむしろ思想家と呼ぶべき人物だ。
6.おそらく福岡さんの本を読まなければ、そんなこと考えなかったと思う。
7.青森ではリンゴの花は5月に咲く。
8.18世紀のイギリスで品種改良が始まるまで、リンゴはせいぜい温州ミカンっほどの大きさの果物だった。
9.このとき使われた最初の農薬が、欧米で発明されたボルドー液だった。
10.まず春先に出てくるのがハマキムシ。
11.すべてのリンゴ畑を無農薬にしてから3年が過ぎ、4年目になってもリンゴの花はまったく咲く敬拝を見せなかった。
12.4年の歳月が過ぎ、5年目んい入ってもリンゴ畑の状態は悪化するばかりだった。
13.妻の美千子は、夜中に布団を抜け出す木村の姿を見るようになった。
14.木村は自分の頭がどうにかなってしまったのではないかと思った。
15.すべてのリンゴ畑を無農薬にしてから6年目、1985年の春が過ぎ、季節は夏を迎えようとしていた。
16.今でも木村はリンゴ畑にいるとき、リンゴの木に声をかける。
17.1985年の夏の盛り、7月31日の話だ。
18.まるで魔法の木のように、そのリンゴの木は輝いていた。
19.これだ、これだ、これが答えだとな。
20.この頃から木村はアルバイトをするようになる。
21.冬の寒さの中に、ふと春の気配を感じることがある。
22.最初に、その光景を見たのは、隣のリンゴ畑の持ち主、竹谷銀三だった。
23.その年の秋、木村はピンポン球hほどの大きさのリンゴを山ほど収穫した。
24.まあ、そんな感じで、ほんとに少しずつではあったけど、私のりんごを買ってくれるというお客さんが増えていったのな。
エピローグ
書評
概要
とにかくすごい信念を持った人の話。
絶対不可能と言われたリンゴの(ほぼ)無農薬栽培に成功した人との話。
感想や紹介
苦境があろうが、なんだろうが絶対に諦めない、成功するまでは諦めないというのを愚直にやり続けて最終的に成功させてしまったのは、素直に認めるしかない。
うがった見方は色々できるし、途中のUFOの下りは必要?とも思ったけど、全体的には文章もどんどん読者を引き込んでくるような構成だし、文体なので小説を読んでいるような感覚で止めどきがなくなってくるくらい引き込まれます。
最初はだらだら1週間くらいかけて読もうと思ってたけど、結局1日で読み終わってしまいました。
読んだ方がいい人
今何かをやっているけど結果が出ずにどうしようか迷っている人の背中を押してくれるような本。
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