【書評】『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』元任天堂社長で天才プログラマーが残した金言がまとめられた本

概要
任天堂の元社長、岩田聡さんのことばをまとめた本です。
『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』紹介文より
ほぼ日刊イトイ新聞に掲載されたたくさんのインタビューや対談、そして任天堂公式ページに掲載された「社長が訊く」シリーズから重要なことばを抜粋し、ひとり語りのかたちに再構成しました。
天才プログラマーとして多くの名作ゲームを生み出し、任天堂の社長としてニンテンドーDSやWiiなど革新的なゲーム機をプロデュースした岩田聡さんの、クリエイティブに対する思いや経営理念、価値観、ポリシー、哲学などが凝縮された1冊です。
岩田聡さんを誰よりも深く知っている、任天堂の宮本茂さんとほぼ日の糸井重里の特別インタビューも収録しました。
「岩田さん」を、盟友のふたりがたっぷりと語っています。
かわいい「Iwata-San」のイラストは、100%ORANGEさん、ブックデザインは、名久井直子さんにお願いしました。
「ゲーム人口の拡大」というテーマを掲げ、世界中のゲームファンとゲームクリエイターに愛された、岩田聡さんのことばが、本のかたちでたくさんの人に届きますように。

「ほぼ日刊イトイ新聞」(略称:「ほぼ日」=ほぼにち)は1998年6月6日創刊のウェブサイト。
「糸井重里が主宰する、インターネットで毎日お送りする、ちょっとほかにはない、たのしい新聞」、それが「ほぼ日刊イトイ新聞」です。
ほぼ、と言いつつも、創刊日から1日もやすまず、毎日更新を続けています。
「ほぼ日」には、有名人が登場するインタビュー、対談、コラムのほかに読者の投稿や投票によってなりたつ読者参加型のコンテンツ、編集部が構成・取材した記事など、毎日たくさんの読みものが掲載されています。
そのなかから、書籍化されたものをこちらのページで紹介していきたいと思います。

岩田 聡(いわた・さとる)
1959年12月6日生まれ。北海道出身。
東京工業大学工学部情報工学科卒業。
大学卒業と同時にHAL研究所入社。
1993年、HAL研究所代表取締役就任。
2000年、任天堂株式会社取締役経営企画室長就任。
2002年、同社代表取締役社長就任。
開発者としてさまざまな傑作ゲームを世に送り出す一方、任天堂の社長に就任してからは、ニンテンドーDS、Wiiといった革新的なハードをプロデュースし、自身のテーマである「ゲーム人口の拡大」に努めた。
目次
はじめに
『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』目次より
第一章 岩田さんが社長になるまで
・高校時代。プログラムできる電卓との出会い
・大学時代。コンピュータ売り場で出会った仲間。
・HAL研究所黎明期とファミコンの発売。
・社長就任と15億円の借金。
・半年に1回、社員全員との面談。
・もし逃げたら自分は一生後悔する。
・岩田さんのことばのかけら。その1
第二章 岩田さんのリーダーシップ
・自分たちが得意なことはなにか。
・ボトルネックがどこなのかを見つける。
・成功を体験した集団が変わることの難しさ。
・いい意味で人を驚かすこと。
・面談で一番重要なこと。
・安心して「バカもん!」と言える人。
・プロジェクトがうまくいくとき。
・自分以外の人に敬意を持てるかどうか。
・岩田さんのことばのかけら。その2。
第三章 岩田さんの個性
・「なぜそうなるのか」が分かりたい
・ご褒美を見つけられる能力。
・プログラムの経験が会社の経験に活きている。
・それが合理的ならさっさと覚悟を決める。
・「プログラマーはノーと言ってはいけない」発言。
・当事者として後悔のないように優先順位をつける。
・岩田さんのことばのかけら。その3。
第四章 岩田さんが信じる人
・アイディアとは複数の問題を一気に解決するもの
・宮本さんの肩越しの視線。
・コンピュータを的確に理解する宮本さん。
・『MOTHER2』を立て直すふたつの方法。
・『MOTHER2』とゲーム人口の拡大
・糸井さんに語った仕事観。
・山内溥さんがおっしゃったこと。
・岩田さんのことばのかけら。その4。
第五章 岩田さんの目指すゲーム
・わたしたちが目指すゲーム機。
・まず構造としての遊びをつくる。
・暴論からはじめる議論は無駄じゃない。
・従来の延長線上こそが恐怖だと思った。
・もう1回時計を巻き戻しても同じものをつくる
・ふたりでつくった『スマッシュブラザーズ』
・『ワリオ』の合言葉は、任天堂ができないことをやる
・ライトユーザーとコアユーザー
・岩田さんのことばのかけら。その5。
第六章 岩田さんを語る。
・宮本茂が語る岩田さん
・「上司と部下じゃないし、やっぱり友だちだったんですよ」
・得意な分野が違っていたから
・新しいことに名前をつけた。
・違っていても対立しない。
・一緒に取り組んだ『ポケモンスナップ』。
・本と会議とサービス精神。
・「見える化」と全員面談。
・素顔の岩田さん。
・糸井重里が語る岩田さん
・「みんながハッピーであることを実現したい人なんです」
・会えば会うほど信頼するようになった
・みんなの環境をまず整えた
・どういう場にいてもちょっと弟役。
・ずっとしゃべってる。それが楽しいんですよ。
・病気のときも、岩田さんらしかった。
・「ハッピー」を増やそうとしていた。
第七章 岩田さんという人
・わからないことを放っておけない。
・岩田さんのことばのかけら。その6。
書評
概要
HAL研究所の社長にして凄腕プログラマー、さらには山内溥社長から任天堂の社長を引継ぎ、Wiiなどでさらに任天堂の業績を伸ばした岩田聡さんについての本。
ご本人は2018年にガンで亡くなってしまったが、ほぼ日などに残っている彼のインタビュー記事などからテーマをいくつかに絞った上で抜き出して転載している形式になっています。
なので、本にも書いてありますがネットを検索すれば同じ文章が載っている部分は無料で読むことができます。ただ、これは本にすべきようなまとめ方だし、いい本だったと思います。
心に残ったフレーズや内容
読んでみて思ったのは岩田さんに関する伝説的な話は、ほとんどがほぼ日が絡んでいる場から発せられたものなんだなと思いました。
有名なところで言うと『MOTHER2』を立て直す際に行った「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。いちからつくり直していいのであれば、半年でやります。」というのもここで知ったんだなと思いました。もちろん他のメディアにも取り上げてられているはずなのでそちらで見たのかもしれないですが。
感想や紹介
また、本を読んでみての岩田さんに感じる印象しては「惜しい人を早すぎる段階で失った」と言うことです。ニンテンドーDSやWiiへの展開については下手なオーナー社長でも決断できないようなレベルでの決断を行なった上で業績を向上させていますし、しかもそれを連続で成功させている。しかもまだ40代でその実績を出せていると言うのはおそらく日本にはほとんどいないレベルでの経営者だと思います。
岩田さんがこのまま健康に生き続けて任天堂での仕事を続けていたら、本当に長年に渡って任天堂は発展し続けられたんだろうと思います。特に岩田さんの年齢的に宮本茂さんが抜けた後の企画開発の人材登用なども見ることになっているはずで、ここができず仕舞いだったのは本当に惜しかった。一番悔しいのはご本人だとは思いますが。
読むのにおすすめな人
ことばの一つ一つが素晴らしい考えだらけで、さらに編集や文字の使い方はさすが糸井重里の会社、と言う細やかさが感じられます。一度でも任天堂のゲームに触れてその魅力を感じた人なら読んでおいて損はないと思います。
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